文章を書くこと、「上手くいかない」を乗り越えること
1月の中旬に差し掛かってきました。
皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?
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1つの記事にあたり、約1000〜1500字で書いていますが、
まだまだ文章を書くのには慣れません。
そこで、
ある人に本の感想や作文などを思うように書けず、
少し苦労していると言うと、
「文章を書くのは出産に似ている」
という言葉が返ってきました。
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多和田葉子さんの
『エクソシフォニー 母語の外へ出る旅』
という本でも、
似たような事が書かれています。
- 作者:多和田 葉子
- 発売日: 2012/10/17
- メディア: 文庫
文字はわたしが書こうと思っていることを書くことを可能にしてくれながらも、それをわたしから奪い取って、自分のからだにしてしまうので、書かれた文章はわたしから離れて独立する。「文章を書くと、自分の気持ちが自分から離れていって、自分のものではないようになってしまうし、文章にしてみると内容も違ってしまうようで嫌だ。だから、何も書かないで、気持ちは自分の中にしまっておきたい」といった友人がいた。
そうゆう人は作家にだけはならない方がいい。書くという作業は、作者とは別のからだである言語という他者との付き合いなのだから。
先ほどの「出産」というのも、
母親が自分の子を産むという「創造」の行為ですが、
その子供は母親とイコールな存在ではなく、
似て非なる「他者」という存在です。
書くということは「他者との付き合い」とする、
多和田葉子さんの考え方にも
「自分」と乖離してゆく、文章の「他者」性があるなと思いました。
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文章を書くことに対し、
「上手くいかない」「難しい」という
思ってしまう。
その思いの根底には、自分の性質や気持ちから離れてゆき、
別人の顔を持って現れる、
文章における「他者」と向き合うことを
恐れる気持ちもあるのかもしれません。
このような事は、絵を描くことに対してもあります。
自分の思うように人体や風景が描けない、
色を上手く塗れない、などなどと、
目の前に立ち現れる絵の「他者」に対し、
やりきれない気持ちや不満は、際限なく湧いてくるのです。
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そこで、最近、
森博嗣さんの『つんつんブラザーズ』というエッセイ集を読んだところ、
思い悩む自分の背中を押してくれる、実践的な助言の言葉がありました。
「知りたいことは、自分の目で見て学ぶ。…すべてを一度に自分のものとして取り込む。つまり、やりたいことの『方法』を知るよりもさきに、やりたいことをやっているのである。」
「また、もう一つ言えるのは、自分の出力を逐一チェックしている点である。…目指すものと、現状のギャップを評価し、常に修正している。だから、少ない経験なのに、あっという間に上達する。」
「自分の行為を自分で評価する。自分が褒めてくれれば、それで充分である。自分は、完成しなくても、その途中のときどきで、いつでも褒めてくれる。ちょっとした障害を乗り越えたときに満足できる。チャレンジを始めただけで嬉しくなれるのは、自分を見ている自分がいるからだ。」
「上手くいかない」という気持ちで悩む、負の連鎖を断ち切り、
次の新たなステップへと移るためには、
絶えず自分のやることに対し、
「修正」と「評価」を続けることかもしれない、と
森さんのエッセイを読んでいて感じました。
つんつんブラザーズ The cream of the notes 8 (講談社文庫)
- 作者:森 博嗣
- 発売日: 2019/12/13
- メディア: 文庫
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「書き続けること」
「表現のための『言葉』を見つけること」
「推敲に慣れること」
文章を書くことに関しては、
これが、今の自分にできることかもしれません。
日々、細々とやっていけたら良いなぁと思います。